寝ぼけたことゆってんじゃねー!

黄金番組や帰れま10などの番組企画を苦々しく思っていたら、
「食べ物を大事にしろなんて聞き飽きた!大体現代の日本で飢えに苦しんでる人なんていないでしょ?日本人は異様に食べ物を大事にしすぎだよ!」
と強く主張しているブログがあって、とても驚いた。
書いた人は学歴も職業もしっかりしている20代のお嬢さんだった。
いや、確かに私も食べ物がなくて困ったことはない。
でもそれは「幸いにして」だと思ってる。それが当然だとか、まして「大事でない」なんて思ったことない。
さいころからお米や野菜を作る親の姿を見てるからこういう感覚なんだろうか?
でも、私の友人たちはサラリーマン家庭で育った人もみんな食べ物を大事にしている。
外で食べるときも自分の食べられる量だけ注文して、もし残りそうになったら頑張って全部食べる。それでも駄目なら他の子が食べる。
別にそうしようって申し合わせたわけでもないのに、小さいときから現在に至るまで私の周りはそういう人たちばかりだったので、これが当たり前だと思ってた。
なので、「食べ物は価値の一形態」って言葉は本当にポカーンとしてしまった。
私にとって「なんで食べ物だけを大事にしなくちゃいけないの?」って問いは
「寒さに凍えてるひとの前で厚着できるのか」「乾きに苦しんでるひとの前で水泳できるのか」*1というよりは、
「なんで人を殺しちゃいけないの?」に近い。
生命の根幹なので言語化されてもいなかった。
非常にシンプル。食べ物なかったら、死ぬでしょ?
ただこれは、もうどうしようもないんじゃないかとも思う。
たとえば呼吸や消化とか、私は当たり前にできてるから日常で
「おお!意識してなくても呼吸ができる!」とか「おお!自動的に消化機能が働いている!」とは思わない。
食べ物が命だという認識がないままで、そのまま成長して「食べ物はカネで買う物」で固定されてしまった場合、価値観を変えるのは難しいだろう。
だから、いくら言ったところで上記の「誰も飢えに苦しんでないんだから食べ物は捨ててもいい」になると思う。

*1:はてなハイク上でこのようなやりとりがあった