鎖(もう無い)

北海道旅行から帰ってきた夜、母に、犬の後ろ足が立たなくなって散歩ができなくなったと言われた。

散歩は私の役目だ。旅行前日までは散歩に行っていた。
それから仕事で遅くなる日が続いた。
休みの日の夕方、玄関を開けると犬がこちらを向いて立っていたので散歩に行きたがっているのかと思い、散歩用の鎖に繋ぎ換えたが無理だった。歩けなかった。

一昨日母がもう駄目かもしれないと言った。
古い毛布やタオルを敷いた平たい大きな段ボール箱に犬を入れる。びっくりするくらい軽かった。
昨日は何事も無かった。
会社の昼休みに家に戻ってみると私を見て顔を上げた。
今日の朝も同じように私の顔を見ていた。

夜になって使わなくなったマフラーを持って行くともう息をしていなかった。
昨日まで、きゅっと身を丸めて眠っていたのに、体が弛緩していた。
タオルをのけてお腹を触っても動いていなかった。もう冷たかった。

17年間ずっと繋いでいた鎖を一昨日の夜に外した。
もう自力で立ち上がれない犬を鎖で繋いでいたことに気付いて、ひどいことをしているような気がして慌てて外した。
外してから、この鎖を再び繋ぐことはもうないのだとはっと思った。そのときに気持ちは定まっていたと思う。
わかっていたはずなのに、お腹が動いていないのを見てまさかと思った。
夕方母が目やにをタオルでとってやったのを聞いていて、遠のいたように錯覚していた。さすっても動かない体が嘘みたいに思えた。


私の家はずっと犬を飼っている。抱いて可愛がるためではない。番犬にするためだ。
しかしこの犬はあまり番犬にはならなかった。
知らない人にも吠えるが友達にも吠える。
そしてどこの犬でもそうだと思うが、家の者が近寄るとしっぽを振って寄ってくる。
反射のように、立ち上がり寄ってくるのだ。
足が動かなくなっても顔を見ると立ち上がろうとする。
先代の犬は病院で死んだ。
虫が涌いたので病院に連れて行ったが、体が悪くて不安なときに飼い主から離されたショックで一晩中なき続けて死んだ。
可愛そうなことをしたと、私達はとても後悔した。

どちらでも後悔は残る。
子が親を選べないのと同じで、犬も飼い主を選べない。
17年も、ずっと一緒だった犬にかけてやる言葉がとっさに出てこなかった。
明日会社から帰ったらもういないのだ。17年も一緒に暮らしてきたのに。